2018年4月11日水曜日

陸上もろもろのはなし #7

うす。



4年に一度のオリンピック。

もちろん、ピークを合わせることは重要で。

それがしっかり出来た選手は努力の賜物だと思う。

だから怖いのは。

大本命といえども、ちょっとしたピーキングのズレがあれば。

メダルどころか予選落ちなんてこともある。

一発勝負、何が起こるか分からない。

それが、醍醐味だったりするけど。

贔屓の選手が負けると、無念さが倍増する。

本当はこの選手が一番なのに・・・

なんて、思うことがある。

なかなかオリンピックで勝てない選手。

陸上に限らず、いますよね。

当シリーズで既に取り上げたヒシャム・エルゲルージ。

この人もその一人。

97、99、01、03年の世界選手権を4連覇。

ほぼ負けなし、負けるのはオリンピック。

悔しすぎる。

前回は2004年アテネ大会の5000mを取り上げたけど。

専門は1500m

今回はオリンピックでの1500mを振り返る。



はじめてのオリンピックは、1996年のアトランタ大会。

国際レベルでは前年にシニアデビューしたばかりの21歳。

その世界選手権で2位、1500mの3分30秒切り!!!を達成し、

優勝候補に名乗りを上げるのには十分な実力があった。

しかし、結果は12位。

こけちゃいました、谷口浩美よろしく。

ラスト1周のところで転倒してしまったのだ。

ただし!!!転倒シーンを見ると。

どう見ても、わざとだろ!ボケっ!と言いたくなるぐらい。

足を引っかけられている。

引っかけた選手は、このレースで優勝した当時負けなしのモルセリ。

このレースをきっかけに、ヒシャム・エルゲルージを応援するようになり、

モルセリを心から嫌うようになった。

※転倒についての真実は分かりません、自身で見て判断して下さい。



次のオリンピック、2000年のシドニー大会。

前回のようなアクシデントがあったわけではないけど、結果は2位。

3年ぶりの負けがオリンピック。

当時、なんというか行き場のない悔しさを覚えている。



3度目のオリンピックが2004年のアテネ大会。

このとき強烈なライバル、バーナード・ラガトがいて。

絶対に勝てるっていうわけじゃないことは分かっていたけど。

初めて世界選手権を勝ったのが97年のアテネ大会だったから、

これはエルゲルージが勝つはずだ!

と、勝手に思い込んでいた。

その思いが通じて(笑)

3度目にして、やっとオリンピックで勝った。

ちなみにエルゲルージは最後の最後に刺して勝つ。

というよりは。

その前に積極的に先頭に立って、ぐいぐいスピード上げて押す。

ラストスパートでも負けない。強い、速い。

その走りに魅了されてファンになったんだけど。

このレースもそんな展開。

予想通り、ラガトもラストまできっちり後ろについて、

ホームストレートで横並びになる。

前回のオリンピックが2位。

またか?と前回のシーンが頭をよぎったけど。

今回は最後の最後、体ひとつ分先着した。

本当にラストまで見応えのある白熱したレースだった。



レース後、エルゲルージはトラックに倒れ込んで。

ラガトをはじめいろんな選手に祝福されていたけど。

なかなか立ち上がらなくて。

顔を覆って、泣いていた。

やっと手にしたタイトル、そうなるよね。

その後、5000mも制して2冠。

1500mのゴール後とは対照的に、自らの力を誇示するように

2本指をたてた2冠ポーズ。

アテネオリンピックの個人的なハイライトでした。



では。

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